兵庫県遺族会
沖縄県 のじぎくの塔 慰霊祭
沖縄戦で散華した父祖達の御霊をお祀りする
兵庫県遺族会では毎年、慰霊巡礼のため沖縄県を訪問し、のじぎくの塔や島守の塔をはじめ、沖縄県内において慰霊祭を執り行い、3073柱もの御英霊の御霊をお祀りしています。
父祖の御霊を弔うために慰霊祭はもちろん、兵庫県と沖縄県という距離もあり日々どうしても自らの手で行えない、慰霊碑の保全管理のため清掃活動も、祀られている御英霊の子である我々遺族によって行っております。
本年は青年部も兵庫県遺族会で無事設立されました。
高齢化が著しい遺族会の、沖縄県における慰霊祭をはじめ、地元沖縄県遺族会との交流等、沖縄だから出来る英霊の顕彰と戦争体験の継承を若い世代に伝えたいと考えております。
若い世代でも沖縄戦を知らない日本人はいないと思いますが、実際に国内で激戦が繰り広げられ、一般市民を巻き込んだ多くの日本人が散華された沖縄県で、戦争の記憶を継承することは、他の場所では行えない大切な場所です。
次の世代へと継承していく為に
沖縄慰霊はそれを現代に伝える場所として、70年以上もの月日は経過しましたが、慰霊祭等を通して、現地でお爺さん達の息遣いを自らの目で肌で直に感じることが出来る唯一無二の大切な場所です。今後も恒久平和な国日本を実現する上でも、私達の祖父達をお祀りしている『のじぎくの塔』をはじめ沖縄県慰霊を、我々今を生きる世代が大切にしていく事が、これからの日本をつくる若い世代へと引き継ぐために、何よりも重要になる事と考えています。
大東亜戦争末期、昭和20年4月1日より80日にも及ぶ沖縄戦において、軍人等軍属の方が9万余人、沖縄県住民の方が10万人余人と合計20万を超える戦没者を数え、同年6月23日に終局しました。
このうち、兵庫県出身の戦没者3,073柱の御霊を慰霊するため、昭和38年12月7日に兵庫県戦没者沖縄慰霊塔建立委員会が設立され、広く県民の浄財を得て翌39年6月13日に戦闘のあとも生々しい沖縄本島最南端で、沖縄戦最終の地摩文仁の丘に兵庫県戦没者沖縄慰霊塔を建立し、塔名も公募によって『のじぎくの塔』と命名されました。
なお、のじぎくの塔慰霊祭とあわせて、戦時中に沖縄県知事として殉職された神戸市出身の島田叡氏以下、沖縄県職員458名を合祀している『島守の塔』慰霊祭を実施している。